いつもとは違う内容です。
何となく書きたかったので。
オチのない文章になってしまってます。

最近、情報弱者、情報格差という言葉を耳にします。

情報弱者の定義は、「様々な理由から、パソコンやインターネットをはじめとする情報・通信技術の利用に困難を抱える人」ということになっている(出所:IT用語辞典 e-Wards)。
そして、この情報弱者という状態から「情報技術を活用できる層と情報弱者の間に社会的・経済的格差が生じる」とあり、これを情報格差とを言ってます。

最近思うことは、情報格差は「情報技術を活用できるかできないか」という点だけでは述べられないということです。
「情報技術を十分に活用できている」というのは、どのような状況でしょうか。
なにをもって「十分」と言えるのか。

スマホ(ガラケーでもOK)を使って、Facebook、Twitter、Web版新聞、雑誌、書籍を読むことができれば、普通に考えると「利用に困難を抱える人」ではなく、情報弱者では無いように思います。

しかしながら、このような人達の間でも情報に格差が生じています。
単に情報の非対称性ということではなく、情報リテラシーの差として出てきます。
大量の情報の中から必要なものを探し出す能力による格差です。

では、この情報活用能力の差を埋めるにはどうしたらいいのか。
全ての人に、情報活用の教育をすることはできませんし、そのようなことをしている間にも新たな情報源が出現してくるでしょう。

もう1つ。
1個人が収集できる情報量は限られています。
そのため、調べたい内容があった場合、「google先生!」などと言われる訳です。
しかし、「google先生」を使用するのは能動的であり、自然と入ってくる受動的情報とは異なります。
能動的に動く人は多くの情報を収集し自分なりの解釈を加えていき、受動的に動く人は既存のマスメディアの発信する内容を解釈するしかなくなります。
ここでも、格差が生まれると考えられます。

ということは、マスメディアがさまざまな情報を、きめ細やかに発信する必要があるということです。
しかし、なぜか多くのメディアで同じような内容しか扱っていないように思います。
表面的なことだけではなく、細かいところに突っ込んだ情報の発信もして欲しいものです。
# そのような情報は、個人ブログ等で書かれていたりする。

しかし、まぁ、最後は、情報の受け手に関心が無ければ、そもそも「情報」として認識されない訳で・・・。