どうやら疲れているようで、調子が出ない日だった。


で、研究計画書自体の記述は出来なくても、本くらいは軽く目を通そうと、
「研究計画書の考え方」(昨日の日記に書いた本)をパラパラめくってた。


最後の<参考>に記載された内容で、メールに関する文章に目が
留まった。

「打ち合わせてメール」と「メールで打ち合わせ」の違いは大きい


単純なことだが、確かにこの差は大きい。
メールというツールの
 ・どう使用するか(行動)
 ・記載する内容(作法)
が、大きく変わってくる。


以前、BizComブログで「メール連絡と資料」という日記を書いた。
そこで軽く取り上げた『もはや手紙ではないメール』 という記事に通じる
ものを感じた。(こちらの記事の方が突っ込んだ内容でしたが)


「顔を合わせての打ち合わせが重要」という発言を良くする・聞くが、
これは、
「メール(やチャット)を使っての打ち合わせだけでは足りない」というのと
同じことだな。
ということは、「メールで打ち合わせ」が増えているということだ。


メールを使う行動の変化が、使うときの作法を変化させているのか、
作法が多種多様に変化したから、使い方が変化してきたのか。
 同時進行かな。


結果として常識も変わっていく。
変わらない考え方、想い、行動というものもあるはずだ。
今はまだ感覚でしか分からないけれど、それは大切にしたいと思う。


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ネットワークで遠隔地を結んで、作業を進めるというCMが時々あるが、
実際にどの程度「問題なく」活用できるのだろうか。
 そういう状況が多くなるのは確実だろうが…。


この「問題ない」という状況は、どうすれば「計測」出来るだろう?
「問題」の発生率からかな?
発生率が小さくなると、逆に問題が発生したときの重要度は高くなる
様に思う。とすると、致命傷を避けるために、結局、「集合」は必要?